最低限済ませとかなければいけないことを済ませに行きました。
妻と子供達は、夏の帰省の忘れ物を取りに熊本へ。
何だかんだで夜までかかって、近くの家族湯で合流。
何もせずに2日目が終了しました。。。
そしてキャンプ3日目の朝。
ゆっくりタープの下で朝ご飯です。
この日から本格的な夏休み活動スタートです!
<まったり朝食〜>
手前に夜の間大活躍の蚊取り線香達の残骸が並べられています。
キャンプの必須兼恒例作業です。
三男くんは寝返りもしないので椅子を二つ独占して御鎮座奉られています。
で、、、ママに悪戯されています。。。
<鼻を触ると反応する三男くん♪>
子供4人+アウトドアですから、時間をあまり意識せずにゆったりスタート。
私が大好きな信長の野望で、有馬氏の拠点となっている日野江城へ。
以前から行ってみたかったところです。
<日野江城入り口>
駐車場は4、5台分しかなく、もっと大きな入り口があるだろうと、一旦通り過ぎてしまいましたが、ここが入り口でした。
階段だけは見事に整備されています!・・・。
これ、登るのか……。
<日野江城・大手門石碑>
階段の下に石碑があって、ここが大手門だったようです。
まだ朝一番ですから、やる気満々で階段を上っていきます。
<日野江城・1段目>
日之江城は傾斜を利用して建築されているお城で、段々畑ならぬ段々城になっています。
昔の山城によくある形なのでしょうか。
写真手前に網が見えますが、これは階段に沿って下から上まで隙間無く貼られています。
網の扉には鍵がかかっているように見えて、立ち入り禁止かと思って一旦帰ろうかと思いましたが、妻が、「あ、開いた!?」と。
いーのかなぁ、って思いましたが、これはどうやらイノシシよけの柵だったようです。
観光客は自由に出入りして良いようでした。
3段目(階段の最上段)に到達して中に入ってみると……。
<日之江城・3段目からの景色>
眼下に領地、遠くに海を見渡すことができます。
こっから4段目に登る階段跡があって、その先は崖崩落のため、立ち入り制限されていました。
<日之江城・4段目に続く中央階段跡>
昔の風景と栄華を思い描きながら、日野江城散策を終了しました。
訪れてみて気づいたのですが、当時の戦国大名である有馬氏が、西洋貿易で利を上げており、かなり裕福な大名であることがわかりました。
隠れキリシタン遺産群として、日野江城も世界遺産を目指して頑張っているそうです。
今は全く以てその雰囲気はありませんでしたが、ポテンシャルは大いに秘めたお城に感じました。
まだ整備されておらず、観光客も我が家のみ。
意外とこのままの方がいいんじゃないかなぁ、なんて勝手に思ってしまいましたが、それではこの地域の観光に貢献できませんよね。
頑張ってください!
ゆっくり日之江城を見てたら昼前になったので、お昼ご飯へ。
まずは島原ソーメンでしょ!?
ってことで、行ってきました。
そうめん専門店の面喰いに行ってきました。
<面喰い・南島原市役所前>
うん。おいしかったです。
麺ですから。
お土産もここでざっと買っちゃいました!
とりあえずはFirst mission complete in 島原!
お腹を満たしたら、いよいよこの日最大のイベント、原城散策へ。
原城は、有馬氏が日野江城から新たな拠点として、天封となる前に新たに築き、短い間本拠となったお城です。
江戸時代初期の島原の乱で、反乱軍が本拠としたお城として有名です。
<原城案内版>
ひろーーーくて、道に迷うことはありません!
日野江城とは違って、こちらはぼちぼち観光客が出入りしていましたが、常に3〜4台の駐車でローテーションしてる程度でした。
<原城・本丸への道>
この日は快晴、酷暑。
炎天下の中を本丸まで歩きました。
<原城・駐車場〜本丸>
少し歩くと島原半島と天草間の広大な海が目の前に広がります。
<原城・崩された石垣跡>
原城は落城後、このように政府軍に石垣を壊されたそうです。
さらに歩いていくと、高台に本丸跡があります。
<原城・本丸跡>
本丸跡はかなり広い高台となっています。
ここに様々な碑、石像があります。
海側には天草を一望でき、島原-天草が地理的にも人の動きとしても一体となりうることがわかります。
陸側は山ですが、海に突き出た形となっている原城を土塁で囲んだ、という政府軍の土塁を一望することができます。
これは説明してくれる人がいないと、地理的に一体化しているのでわかりませんが、我が家は幸いなことにボランティアで説明してくれる方に教えていただきました。
そしてこの高台には、反乱軍の大将として有名な、天草四郎像もあります。
長男は長いこと前に立って見上げていました。
<原城本丸・天草四郎像>
小西行長の家臣の4男として生まれたと言われている天草四郎。
形式上の、大人の事情で担ぎ上げられた大将であったのだと思いますが、敬虔なクリスチャンであったというのは間違いない事実のようです。
<原城・ボランティアの高橋さん>
毎日原城を訪れているという、原城研究家の高橋さんという方に色々と話を聞くことができました。
彼は毎日原城を訪れているそうです。
惜しみなく知識を披露してくれて大変勉強になりました!
聞いているのかいないのか、歴史好きの長男もずっと話を聞いていました。
怖い話、夢のある話、当時の考えられない状況、背景、島原の乱の動き等、本当に色々と話して下さいました。
私にとって一番印象に残ったのは、乱鎮圧後、100年間原城半径数kmは出入り禁止であったということでした。
死体の処理も行われず、無人の領域となったまま100年間も空白地帯であったというのは、当時の乱がいかに凄まじいものであったかということを物語っている気がします。
原発事故でも、原爆落下後も100年間の空白地帯という歴史は日本中探してもないのではないでしょうか?
100年経ってから、小豆島等から、税優遇政策を受けて農民が入植してきたそうです。
壮大なる隠れキリシタン弾圧、年貢取り立ての歴史に触れて有意義な時間であったと満腹状態で、拠点であるエコ・パーク論所原へ帰りました。
途中、スーパーでお肉を買って、久々のBBQをしました。
お安いメッシュ七輪に、焚き火で点火した木炭を移し、じゅ〜〜っ、と食べました。
おいしかったです。
<メッシュ七輪とお肉♪>
まだまだ島原行脚は続きます!
<島原行脚3日目>
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